Love for free



 20歳のエドガー・ロニ・フィガロは、その日、父親の死によりその王位を継いだ。前王を凌ぐ英知の持ち主であると黙されていた彼に対する周囲の期待は大きかった。そしてそれ故に期待と重圧も……。20歳を迎えたとは言え、母・父・弟と立て続けに心の拠り所を失った彼にとってそれは、苦痛にも似たものだった。政務の辛さ、王としての苦痛は、やがて生きることそれ自体への苦痛へとすり替わっていく。王になってからしばらくの間に、自殺を考えたことも1度や2度ではない。
 その度に、臣下のこと、民のこと、そして同盟相手国の帝国への不信感が頭をよぎり、何とか踏み止まっていた。しかしそれで苦痛が消えるわけもなく、常に何かに苛まれる生活が続いた。
 そして3年、エドガーは23歳の誕生日を迎えた。無論、国を挙げての盛大なパーティーが催される。来賓も各界の著名人ばかりである。当日の朝、ベッドの中で目を覚ました彼は、そのことを想像し、陰欝となった。逃げ出したかった。弟がいた 頃の誕生日が懐かしい。その頃も無論パーティーはあったが、来賓たちの相手は王である父の仕事であって、自分達はただ祝われていればそれで良かった。そして退屈になれば2人で密かに抜け出し、2人だけで祝杯をあげたものだった。毎日が誕生日だったらと願ったほど、あの頃は楽しかった。それに比べると今は、誕生日など来なければ良いのにとさえ思う。
 従者たちにこんな顔を見られるのも具合が悪いので、彼は極めて物憂げに起き上がった。気乗りしない気持ちを必死で説得し、どうにか寝間着から正装へと身を包み替えた。
「お早ようございます。エドガー様。」
 部屋の番をしていた兵が恭しく頭を下げる。この男は、先代の頃からフィガロに仕えているとある従者の息子で、幼い頃は同年代のエドガーやマッシュとよく遊んでいた。しかし、いつからか彼もフィガロに仕える身となり、その態度も徐々に変わっていった。
「お早よう、デイビス。頼むからエドガー様はやめてくれよ。」
 エドガーはいつもの調子で笑いながら言った。デイビスはそれを冗談だと受け取ったが、当の本人にとってはそれは決して冗談などではなかった。
 朝食を摂るために食堂へ向かう間に、何人もの従者やメイドたちと擦れ違った。皆、口々に、
「おめでとうございます、エドガー様。」
画一的な挨拶を投げ掛ける。それはむしろエドガーが王として慕われていることの一証明でもある訳だが、今の彼には自分が軽んじられているような気がしてならない。
「ああ。ありがとう。」
 しかし、生来憎まれ役には向かない気質なので、どうしても愛想笑いと画一的な返事を返してしまう。そんな自分が、たまらなく嫌だった。
 大臣とも一言二言言葉を交わし、朝食に手を付けた。いつもと変わらない朝食である。いや、昼食と夕食の豪勢さを見越してか、心持ち少なめだった。エドガーは、その中のクロワッサン一切れだけを頬張り、コーヒーを一口すするとすぐに食堂を出た。
「悪いが一人になりたい。……なに、パーティーの挨拶の時には必ず顔を出す。」
 臣下たちのエドガーに対する信頼は厚い。大臣はその言葉を信じ、すぐにエドガーの部屋の人払いをした。


 私室に戻ったエドガーは、トレジャーハンターの友人ロックから貰ったボロボロの衣服へと着替えた。王になってから貰ったもので、彼はこれを着てサウスフィガロに行く。月に一度程度ではあるが、鋭気を養うためだ。
 すっかり王家らしからぬ姿になると、窓からロープを下ろした。これも、あの悪友から教えてもらったことである。窓の下には愛騎サザーランドが繋がれている。彼はそれに跨がり、長い後ろ髪をなびかせながらフィガロとサウスフィガロを結ぶ洞窟へと向かった。
 入り口に立つフィガロ兵にも正体をバラすことなく、洞窟へと足を踏み入れた。外の砂漠は八月の夏空の下でとてつもない暑さになっていたが、洞窟は別世界のようにひんやりとしていて心地よかった。入り口付近の湧き水で顔を洗い、サザーランドに水を与えた。自分も喉を鳴らしてそれを飲み干す。冷たい。生きていることを少し実感した。
 洞窟を抜けると、砂漠ほどではないものの、また灼熱の暑さが待っていた。しかし、町まではすぐである。逸る気持ちを抑えつつ、静かにサザーランドの手綱を引いた。
 町は活気に溢れていた。そこここに「エドガー王ご生誕23周年」だとか、「祝エドガー王お誕生日」などの文字が踊っている。しかしまさか、誰もその王様がここにいるとは思うまい。足の向くままに、酒場に向かった。酔うほどに呑むつもりはないが、少しは呑まないと来た意味がない。それに酒場に行く意味は他にもある。人間観察。彼は酒場での人間観察がたまらなく好きなのだ。城や普通に町中にいるだけでは絶対にお目にかかれないような人間がゴロゴロいる。悪く言えばあれほど雑多な場所はそうそうあるものではない。ましてや今日のようなお祭り騒ぎの日であれば、きっとあらゆる場所からそういうヤ ツらが集まっているはず。それが見たくてたまらない。
 賑やかな町を抜け、酒場へと足を踏み入れた。酒の甘い香りと雑多な人間の臭いが鼻をくすぐる。予想どおり、酒場には人が集まっていた。エドガーはその間をくぐりぬけ、カウンターに席を取った。
「いらっしゃい。何にします?」
「酒だ。銘柄は任せる。安くて旨いのを頼む。」
 エドガーは酒は好きだが、別に選り好みはしない。「安くて」というのは、持ち合わせがあまりないからである。
 手酌で酒をやり始めて程なく、一人の女が彼の近くに席を取った。雑多な人間の中で、一際異彩を放っていた。
「ねぇ、なんなの?今日のこの騒ぎは。」
「何だ知らねえのかい?エドガー様の誕生日だよ。」
 知らない。その女は自分のことを知らなかった。
「ふーん、そう。ま、どうでもいいわ。バーボンちょうだい。」
 興味すらなさそうである。エドガーは、言うまでもないことだが、無類の女性好きである。しかし、今までこんな女には会ったことがない。今まで自分が声をかけた中で、フィガロ王エドガーのことを知らない女などはいなかった。
 不意に、衝動に駆られた。この女に自分のことを知らせたい。王になってから初めて湧いてきた、普段とは逆の欲望であった。正体がバレてしまう危険性も忘れて、顔の下半分を覆い隠しているスカーフを少しずらした。
「隣、いいかな?」
 自分の席を立ち、女の横に立った。
「どーぞ。空いてるわよ。」
 女はバーボンを呷りながら顔も上げずに言った。いきなり先制パンチをくらった感じだ。
「あなたもフィガロ王のパーティーに?」
 先制パンチのダメージを残しながらも、エドガーはいつもの通りごくごく無難な話から入った。答えの分かっている愚問だが、今はこれが最適だ。
「あら?知ってるんでしょ?さっきから盗み聞きしてたんだものね。」
 やはりバレていた。勘が鋭い。
「あ、バレてたか。参ったな……。」
「分かってたくせに。」
「あ、それもバレたか。まあ、美しい女性は勘が鋭いものだからな……。」
 女はその言葉に微かに反応し、初めてカウンターにグラスを置いた。
「何?口説いてるの?」
 女の目は遠く透き通っていた。この女が何ものにも束縛されず生きていることを、その目が何よりも証明していた。
「まあ、そんなところだ。別に君をどうこうしようと言うんじゃない。ただ、一緒に呑んでくれればいいんだが。」
 女は笑い、またバーボンを取り上げた。
「いいわよ。河岸を変えましょ。ここの代金はよろしくね。」
 そう言い放つと、目の前のグラスの中に残る液体を一息で飲み干した。


 口説いた、つもりなどはない。エドガーは自身の心の中で何度も繰り返した。そんな軽いものじゃない。もっと……こう……何というか言い表わせない感情だった。
「何処まで行くんだい?」
 心の中のもやを振り払うようにエドガーは言葉を発した。自分が誘ったのに女の後ろを歩いていることに、違和感を感じた。
「私の家よ。」
 女はどんどん歩いていく。しかし、エドガーの記憶が正しければその方向には民家などないハズである。
「ここよ。」
 少し前までは空き地であったはずの場所だった。そこには、大きなラグビーボールのような楕球形の屋根を載せた「家」が建っていた。
 外観も変わっていたが、内部もかなり変わっていた。1人で住んでいるにしては広すぎるラウンジに、何故か機械室がある。
「ここで暮らしているのかい?」
「ん〜、半分正解。確かにこのラウンジで寝起きしてるけど、場所は、ここじゃないわ。」
 何を言っているのかさっぱり分からない。
「場所?」
「ま、付いて来れば分かるわ。」
 女とエドガーは梯子を登り、「家」の「屋上」に出た。いや正確には、あのラグビーボールのような屋根の屋根裏とも言える場所だった。
「これは……。」
「驚いた?じゃ、行くわよ。」
 女がエドガーの傍を離れ、目の前にあるハンドルのようなものを握ると、「家」に猛烈な振動が起こり、エドガーは姿勢を保つのも困難になった。慌てて近くの鉄骨に身を任せ、目を閉じた。次の瞬間、「家」は中空へと浮かび上がっていた。
 上空高くまで浮かび上がり、少し体が安定してきたので、少しずつ女の方へと進み始めた。
「なるほど……。これが飛空艇か。まさか本当にあるとはな。」
 そう言いながら、腕は静かに女に巻き付き始めている。しかし、女はその腕をこともなげに振りほどいた。
「誘いに乗っといて何なのだけど、私、遅い男には興味が無いの。」
 確かにその女は速い。飛空艇は風をきって疾風のように進んでいく。
「君を抜ける男なんていないさ。」
「ええ。少なくとも、変装なんかしてる『ニセ盗賊』さんには無理でしょうね。」
 女は澄んだ目を再びエドガーに向けた。羨ましい。エドガーは思わず見惚れた。その色は、明らかに自分のそれとは違っていた。自由という一つの生き方を選んだ人間の目は、ここまで透き通るものなのだろうか。弟が城を飛び出してまで求めたものは、この色なのだろうか。
「……済まない。騙そうとした訳じゃないんだ。ただ、私の存在自体が、サウスフィガロでは大騒ぎになるのでね。」
 エドガーはボロボロのマントを脱ぎ捨て、顔を覆うスカーフを外した。
「私は……、フィガロ王エドガーだ。」
 初めて、人前で堂々とそう名乗れた。
「どうするの?膝まづいて頭を下げたらいいのかしら?」
「そんなことをされたら、私は自分を軽蔑するよ。」
 そう言うと二人は顔を見合わせて笑った。
 しばらく雑談した。女は操縦桿を握りながら、エドガーはその横に立って。
「さっきの話だが、君より速い男なんか本当にいると思っているのかい?」
「いいえ。今は、まだいないわね。」
「今は?」
「将来有望な男はいるわ。私に追い付きそうな勢いよ。そうやすやすと抜かせたりしないけど。」
 女は美人に似付かわしくない、少しだけヤニの付いた歯を見せて笑った。
「煙草をやるのかい?」
「吸いたいから吸ってるだけよ。やめたくなったらその時やめるわ。」
 あくまでもフリーランスな生き方だった。エドガーは3年前から煙草をやめている。大臣に止められたからである。
「王が黄色い歯をして国民の前にお顔をさらせますか。」
 黙って従った。従うしかなかった。従う以外の生き方などは選択肢にはなかった。
「お城まで送って行こうか?」
 女の冗談に、エドガーは何故か真面目に応じた。
「馬鹿を言わないでくれよ。大臣に大目玉をくらうよ。サウスフィガロに戻ってくれ。」
 そのまま女とは別れた。城に戻った彼は、昼下がりの午後三時に再びサウスフィガロに行き、挨拶をした。無論『ニセ盗賊』ではない。『フィガロ王エドガー』としてである。
 女とはそれっきりになった。名も知らないし、氏素性も分からない。記憶に残っているのはあの特異な「家」と、操縦桿を握る美しい横顔だけだった。そしてもう一つ、頭に焼き付いた言葉。「将来有望な男」の存在。産まれて初めて、恋愛に関して自分が敗北を味わった男。しかし、不思議と悔しさはなかった。それどころか、純粋に会いたいと思う。あれほどの女が、微かにとは言えなびきそうになっている男の顔を見てみたい。しかし、それが叶うのはまだもう少し先のことである……。

fin


Wallpaper:トリスの市場様

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